平成18年5月に再度訪れた様子
平成19年3月16日 更新
平成18年5月に再度訪れた様子
最上階(棟)の様子。
屋根自体、本当にトラス構造だけで構成されています。
1階天井の梁や桁は、トラス構造によって外へ押し広がる力を分散、あるいは
保持するのが、主な目的という訳ですが。
それでも、あれだけ太い桁や梁を使わないと持たなかった訳です。
 
自然に対する畏敬の念から生まれた木造建築・・・といってもいいのでは
ないでしょうか?。
 
そして、この地に根ざしてきた人々の歴史に敬意を払い、見学させて頂いた事
を心から感謝しなければならないと、僕は思います。
 
継続していく事は大変な事ですが。
機会があれば、またいつか訪ねてみたいと思います。
できれば、合掌作りの民宿に泊まって・・・。
 
そういえば、白川郷には、外国人の観光客も結構来られてましたね。
表の池に咲いてるハスの花を撮ったり、雰囲気を楽しんでいたようでした。
 
  
これは、中二階の様子だったかな?
昔から使われていた農機具や、この地では、下界との交流がほとんどなかった
ために、製鉄も行われていたようで。
(ある意味、究極の自給自足の世界だった訳ですね)
そのための鍛冶の道具とか。そんなものがいろいろと展示されてました。
 
トラス構造と、横桟、そして、垂木の固定は、この地方で「ねそ」という木の枝
(実際は、マンサクの木の枝・・・春先に黄色い小さな花を付ける木)
を、10日くらい水に漬けて、繊維を柔らかくした、いわば荒縄で縛ってあります。
 
縛る事で、荷重がかかった時にずれる事で締めあがる。そして初めて強度を
産むという、独特の工法で、長い風雪を耐え忍んできたんだそうです。
 
「ねそ」は、この地方では「神様から頂いた大切な木」と言われているそうです。
 
こんな感じで、トラス構造が整然と並んでいるんですよ。
いい風景ですね・・・。
なお、このトラスについては、釘は一本も使われていません。
使ってたら、たぶん持たないでしょう。
 
そして、これ!この風景を撮りたかったのよ!
向こうから光が入ってきている空間を。
人影がなければ、もっとよかったんだが・・・。
で、この空間を明るく照らすと・・・。
1階の天井の様子。
囲炉裏の煙が上の階に上がるように作られています。
上の階には、養蚕と同時に、小作人が住まわされていたとか。
とにかく、もの凄く広いです。
屋内の様子。
長瀬さんの先祖には、加賀・前田家のお抱え医師だった人もいたようで
その時に使われていた道具や、前田家から贈られた品物などが展示されて
ました。
この障子の向こうは、普段、家の人々が生活をしているスペース
なんだそうです。
住宅の現地モデル説明会でも、1000人以上の人が訪れるもの、ないでしょ?
それを公開して頂けるのは、本当に有難い事だし、心して焼き付けておかないと
ダメなような気がします。
 
玄関を入って、まず目の前に飛び込んできた梁と桁。
下側の桁が、長さ12m以上の通しになっている。
写真では大きさが判りにくいが、桁の幅というか、高さだけでも、太いところで
2尺4寸(約720mm)はあったと思う・・・。
さすがにスケールまでは持って行ってないので計ってはないけど(笑)
もちろん総てケヤキ。
梁の方は、根曲がり木を丁寧に加工して、みんな同じ形に加工してました。
(写真がないんだ・・・悪しからず)
   
この一本の桁だけで、何トンあるだろう?最低でも3tはあるだろう。
もちろん建造された頃は、重機なんてないから、建前の時、人足に酒を飲ませ
酔った勢いで建てていったらしい。
もちろん、何十人では済まない人数だよ。
その接待だけでも大変だよ・・・ホントに。
 
玄関の土台と、縁側の束石と、犬走りの様子。
長瀬さんのお宅は、明治に入ってから建築されたものだそうですので
合掌作り家屋が建てられ始めた頃から、縁側の様子がこうだったのか?
は僕には判りません。
 
ただ、言える事は、これからお見せする木造建築としての構造が、どれだけ
のものか?を考えると、いったい、この束石を置くまでに、どれだけ大地を
叩き締めているのか?という、途方もない苦労と人の関わりですね。
 
玄関部分は、そんなに荷重がかからないにしても、それ以外は・・・。
 
法隆寺の五重塔の場合は、岩盤まで掘り下げて、そこから砂と粘土を交互に入れて
は叩き締めて土台を作ってあるそうですが。
それに近いものがあるのかもしれませんね。
 
ちなみに、コンクリートが固まった状態で、1立方mで、約1tの重さがあります。
雪の場合、1立方mでいくらあるかな?それでも1〜1.2tはあるはず。
かつては、この地域、3mは雪が積もったといいますから、1平米で3t以上の荷重が
かかっていたという事になります。
 
それに、先ほどの屋根材としての茅葺の重さ、強いては、構造としての重さ。
最大で、それらが総てプラスされた荷重がかかっている訳です。
 
僕としては、構造以上にこの束石と、その下の土台の存在も絶対に忘れるべき
ではないと思いますし、見るべきだと思います。
そこに歴史があるんだという事を。
  
玄関前から、縁側の軒下を撮ってみました。
 
ヒノキの丸太が垂木となっています。
積雪のない状態で、この屋根の重さ、いったい、何トンあるのかな?
と考えてしまいました。
 
長瀬家の合掌作り家屋。
以前、この屋根の葺き替えの様子を、NHKのドキュメンタリーで取材・放送して
いた家です。
もちろん、今でも実際に家族の方が住まわれています。
昼間は、観光客に一般開放をし、夜は、そこで生活をする。
一日に訪れる観光客は、1000人を超えるといいますから・・・そりゃ大変でしょうし
床だって傷むの、早くなるでしょうね・・・。
もっとも、床板は、総てケヤキの1寸5分くらい(約45mm)の板が床板でしたが。
 
でも、ここに住まわれる家族の方々は、こうやって観光客に公開する事を
むしろ誇りに思っているのが、大変素晴らしいですし、有難いと思います。
 
長瀬さんのお宅で頂いたパンフレットには、こんな事が書かれてました。
「長瀬の家は、長瀬のものであって長瀬のものではない・・・と先代から
言い聞かされてきた」と。
一家だけの力では、とてもではないけれど、これだけの家を維持する事は
困難でしょう。
 
この地で受け継がれてきたもの・・・集落全体で協力をするという精神。
 
実際、NHKで取材をした葺き替えの様子の際にも、全国からボランティアを募って
そして、地元の人たちにも応援を頼み、やっと完了しました。
(僕もこの放送を見てましたが)
 
今はとてもそんな余裕がないけれど、もし機会があれば、この葺き替えの応援
行ってみたいですね。
 
駐車場で、案内図をもらったので、それを参考に、どこから見て回ろうか?と
考えます。
考えながら歩いていくと、とてつもなく大きな屋根の、一軒の合掌作りの家屋が
ありましたので、まずはそちらを訪ねてみました。
 
表通りは、雨だというのに、観光客でごった返し、まるで一昔前の軽井沢か
原宿みたい・・・ひっそりと・・・という雰囲気を楽しみにしていたので、これは
期待外れでした・・・というより、意外で驚きました。
 
裏通りに入るとこんな感じで、観光客も少し少ないんですが・・・。
でも、写真でよく見る風景ですよね?
これで雪が降ってたら、絵になるんですが・・・。
ログハウスという「木の家」に興味を持ってからというものの、いつか、世界中の
木造建築を、自分の目で見て、できる事なら、自分の手で触れて、その建物に
関わった人々の息吹を感じてみたい・・・。
そう願っています。
一生の中で、どれだけできるか判りませんが、できる限り、回ってみたいです。 
 
世界遺産として登録された木造建築・・・正確には集落そのものですので
木造建築群・・・というべきでしょうか?
岐阜県の、かつては、冬、陸の孤島となっていた白川郷。
まずは、この白川郷を訪ねてみました。
 
このページは、その時の思い出や、建物の構造、そこに住む人々の営みなど
を紹介できたら・・・と思っています。
 
2003年の夏に、岐阜へ現地調査の仕事のために行く機会ができたので
可能な限り、帰りに寄ってみたいなと思っていたのが「白川郷」でした。
 
東海・北陸自動車道 荘川ICから行くのが一番近道と、高速の出口に書いて
あったので、そこで高速を降ります。
しかし、ICから片道40kmあるとは・・・
しかも、御母衣ダム沿いの対向が困難な細い道を延々と・・・。
また、世界遺産に登録された関係で、大型のバスもよく通るんですね。
 
もうじき、東海・北陸自動車道も全線開通すると思いますが、そうすれば
白川ICまで、直接高速で行く事ができます。
 
やっとの思いで着いたのはいいんですが・・・大雨。
駐車場(普段は農協!)に車を止めて、とりあえず傘を買ってから、さっそく集落を
回ります。
木造建築と、時の流れと、人々の営み